東京・久が原にある、万年筆と紙にこだわったお店「アサヒヤ紙文具店」店主の萩原康一さんに、万年筆についてお話を伺いました。
万年筆は、原始的な原理でありながら現代でも通用する筆記具
――『アサヒヤ紙文具店』は、萩原さんの代でお店を改装し、おもに万年筆と紙を扱うお店になったということですが、万年筆に特化されようと思ったのは、なにか理由があったのでしょうか?
萩原康一(以下萩原):やっぱり、好きだからですね。万年筆は原理が非常に原始的で、100年くらい前には技術が確立され、技術的な革新はもうなくてもいいくらいに完成されている。構造自体はアナログな仕組みだけれど、それが現代でも通用していて、いまだに署名をするときなどに使う“正式”な筆記具として使われているところがいいなと思います。
――萩原さんが最初にお使いになった万年筆は?
萩原:パイロットの「エリート」です。中学校に上がるときにねだってお店の商品を自分用におろしてもらって、それが始まりですね。
その後は、ラミーなども使いました。これまでに自分の興味でいろいろなメーカーのものを試しましたが、やはり、パイロットが好きですね。品質の高さはもちろんですが、メーカーの硬派な感じもいいと思います。
――海外のメーカーのものはいかがですか?
萩原:海外のメーカーだとペリカンが好きです。ペリカンは吸入機構がしっかりしていて、メンテナンスの面で不安感が少ない。万年筆のペン先は当たりはずれがどうしてもあるんですが、ペリカンは基本の芯がしっかりしているので、多少ブレがあっても調整がしやすいですね。
万年筆を使い続けると、筆圧が変わっていく
――実は私も万年筆を使っているのですが、ペン先に金が含まれた金ペンを手に入れてからは、書くときにペン先のしなりが気持ちよくて、以来自宅ではほぼ万年筆しか使わなくなりました。
萩原:金ペンはいいですよね。万年筆は、実は使い続けて慣れてくると多くの方は筆圧が落ちるんです。というのもぎゅうぎゅう押さなくても書けるから。シャープペンシルは立て気味にしながら押さないと芯が折れたり線が薄くなったりするので、書いていると筆圧が強くなる。ボールペンもチップの内部にあるボールを正しく転がして書くには筆圧を加えて押さないといけない。
そういうのに慣れている人は、万年筆も最初は押そうとするんです。でも、使い続けているうちに押さなくてもインクが出てくるのが体感的にわかってきて、そうすると筆圧が抜けてくる。万年筆ってペン先がちゃんと調整されていればインクがするすると出てくるので、手を添えているだけで書けるんです。そういうのに慣れてくると、筆圧が自然に下がっていくんですね。
特に金ペンは筆圧を加えなくてもしなやかさが感じられるので、より気持ちよく書くことができる。なので、万年筆を使い慣れてくると筆圧が下がって、鉛筆で書いたときも字が薄くなるんです。それで、これまでHBを使っていたけど2Bや4Bを使いたい…とか、みなさん筆記具の好みが変わっていくこともありますね。
――萩原さんは、お店で万年筆を買った人のためにペン先の調整もなさっていますね。
萩原:お店で買っていただいたとき、お客様が何か書き癖があるならそれにペンを合わせてあげたいし、「インクフローをよくしてほしい」のような希望が出るときもある。それらに対して、できれば買ったその場で対応してお客様が持ち帰れるようにしたいと思って、調整のサービスを始めました。
万年筆の調整はいわゆる資格みたいなものはないので、いろいろつてをたどって教えてくれる人を見つけて、その方に教わって原理を理解し練習して技術を習得しました
。それで、「ここまでできるようになったので、お店でやってもいい」とお墨付きをもらって、調整をするようになったのですが、今も、もっとうまくなりたいと思ってずっと試行錯誤しています。「このやり方よりこっちのほうが書き心地がいいかもしれない」と方法を変えたり、目で見るだけでなく顕微鏡を通して観察したり、自分でよかれと思うことをずっと続けています。でも、これはもう終わりがない世界ですね。
『アサヒヤ紙文具店』オリジナル「カスタム823」はどんな万年筆?
――『アサヒヤ紙文具店』では、このお店でしか買えないオリジナルのパイロットの万年筆を扱っていらっしゃいますよね。
萩原:パイロットさんの作っている万年筆の中で現存するモデルを、「アサヒヤ」向けにカスタマイズしてもらったものです。一度にたくさんのインクが吸入できる「ブランジャー」という吸入方式を採用した「カスタム823」。通常、ペン先は < F(細字) > < M (中字)> < B(太字) >の3つなんですが、823の軸にウェーバリー <WA> とフォルカン <FA>を移植してもらっているというのが、うちの店の特別仕様になっています。
ウェーバリーもフォルカンも特殊なペン先ですが、ウェーバリーは筆記の角度を問わずになめらかに書くことができる。ペンを立てて書いても寝かせて書いても、遠くから書いても近くから書いても線の細さが変わらないところが好きです。ファルカンは、柔らかいペン先で筆圧に応じて太い線から細い線までさまざまな線を書くことができます。
自分の好きなペン先に好きな軸を合体したものを作りたいとメーカーに交渉を続けて、2009年にようやく公認をとることができたんです。もちろんそれはすんなりと通ったわけではなく、パイロットさんの製品を愛していることを伝えて、お店でも製品を置いて、なおかつ付き合いを深めてこちらのことを理解していただいたうえで、ようやく要望を聞いていただくことができました。
万年筆を選ぶときは、本当に欲しい一本を
――万年筆を使ってみたいという初心者の人が選ぶときに気を付けたほうがよいことを教えてください。
萩原:初心者だからといって、段階を踏んで買おうと思わなくていいということですね。
万年筆を買うとき、まずはステンレスのペンから始めて、慣れてきたら憧れていた金ペン…というステップを踏む方が多いんですが、お店にいらした方に「何に使うんですか?」と聞くと、一番使うのはノートや手帳ということで、Fのペン先を選ぶ。そのペンで慣れてくるともっといいのが欲しくなり、本当に欲しかった高価なペンにしようとするんですけれど、そのとき、一番使うのがFだけどすでに持っているから被らないようにしよう…とMを選ぶ。そうすると、結局、本当に欲しかったものの前に買ったペンを一番使うことになってしまうんですね。
だから、初心者だからといってわざわざ下から入る必要はないです。むしろ、本当に欲しいと思っているペンで一番使うサイズのペン先を選んで買うのが、一番長く愛用できる。万年筆は趣味のものだから、自分の意志を我慢したり曲げたりしてまで、お作法通りにいくことはなく、自分の好みに忠実に選んだほうがいい。そうやって手にとった一本がずっと自分の友になっていきます。
――いろいろと貴重なお話をどうもありがとうございました!
有限会社 アサヒヤ紙文具店
東京都大田区久が原3-37-2
TEL 03-3751-2021 / FAX 03-3751-2496
定休日: 水曜日 店頭営業日: 金・土曜日 営業時間: 12:00~18:00
HP:http://www.asahiyakami.co.jp/
取材・文:田下愛 撮影:土田有紀恵 イラスト:海山かのん
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